浄珠院は9世紀半ばに慈覚大師が創建し、聖徳太子自作の孝養像を安置したことがその起源とされます。はじめ清光山大海寺と号しました。その後、時が流れて廃絶してしまいましたが、15世紀の初めごろに、松平2代泰親の子、教然良頓上人が京都での修行の末に故郷のこの地に、後花園天皇より砂金と斎田を賜り、仏殿を造立し、浄土宗に改宗して、浄珠院と号しました。その後、松平家代々からの信仰が厚かったと言います。
その松平9代家康(後の徳川家康公)は、人質生活の末、今川家から独立し、岡崎城を取り戻します。しかし、天下泰平に向けて歩み始めた家康公に最初の試練が訪れます。それが三河一向一揆です。家臣団も真っ二つに分かれての対立でありました。その時、家康公は浄珠院を本陣とします。一揆は半年続きますが、粘り強い説得の末、浄珠院の聖徳太子の像の前で和睦が成りました。家康公は寛大な処置をし、対立した家臣団の誰一人断罪されることはありませんでした。浄珠院は、家臣を大切にする家康公を象徴する地であります。
住所 | 愛知県岡崎市上和田町北屋敷55 | ||
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宗派 | 浄土宗西山深草派 | ||
開門時間 | 境内:常時入れます 本堂:必要に応じて対応可 |
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拝観料 | なし | ||
駐車場 | 無料:20台 | ||
ホームページ | http://www.zyousyuin.org/ | ||
御朱印 | ― | 御朱印帳配布 | ― |
写経 | ― | 御祈祷・祈願 | ― |
おみくじ | ― | お守り | ― |
書道 | ― | 茶道 | ― |
座禅 | ― | 精進料理 | ― |
その他 |