元和2年(1616)4月17日、徳川家康公は天下泰平をもたらしたのち、駿府城にて75年の生涯を終えました。江戸時代初期の僧侶が記した『本光国師日記』によると、家康公は「遺体は駿河国の久能山に葬り、江戸の増上寺で葬儀を行い、三河国の大樹寺に位牌を納め、一周忌が過ぎて後、下野の日光山に小堂を建てて勧請せよ、関八州の鎮守になろう」と言い残して、この世を去ったと言います。
その遺言に従い、御遺骸は久能山に埋葬されました。その後2代将軍秀忠公がその地に久能山東照宮を創建しました。廃止されたものも含めれば、全国に500社以上あったと言われる東照宮の中でも、最初に家康公がお祀りされた地が久能山です。造営にあたっては、当時の最高の技術が用いられ、現在では御社殿が国宝に指定されています。
久能山の歴史は古く、もともとは7世紀の頃に久能寺という寺院が建立されました。久能山の地名は久能寺にちなみ名付けられたといいます。久能寺は平安末期から鎌倉初期(12世紀頃)には、多くの僧侶が往来する大寺院であったと伝わっています。しかし、13世紀初めの山火事により、面影は失われてしまいました。時は戦国時代に移り、永禄11年(1568)武田信玄は、久能山の地を重要な要害とみなし、山上に久能城を築きました。
今でも久能山東照宮の参拝者は、山上の社殿に至るまで実に1159段ある石段を登ります。階段を登りながら、久能城を攻めたものの苦労を思うかもしれません。(現在はロープウェイもあるのでご安心下さい)武田家滅亡後は、徳川家康公の手に渡ることになります。晩年を久能山に近い駿府城で過ごした家康公はある時「久能山は常に駿府城の本丸と思召す」と語ったといいます。霊験あらたかで加えて守りの要でもある久能山、その地で家康公は国家鎮護の神となりました。
住所 | 静岡県静岡市駿河区根古屋390 | ||
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宗派/御祭神 | 贈正一位 徳川家康公(東照公) 相殿 贈正一位 豊臣秀吉公 贈正一位 織田信長公 |
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開門時間 | 4月1日~9月30日 9時~17時 10月1日~3月31日 9時~16時 |
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拝観料 | 大人 社殿 500円 博物館 400円 共通 800円 小人 社殿 200円 博物館 150円 共通 300円 |
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駐車場 | 久能山山下には無し(民間駐車場利用) 日本平ロープウェイ日本平駅前に200台(無料) |
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ホームページ | http://www.toshogu.or.jp/ | ||
御朱印 | 〇 | 御朱印帳配布 | 〇 |
写経 | ― | 御祈祷・祈願 | 〇 |
おみくじ | 〇 | お守り | 〇 |
書道 | ― | 茶道 | ― |
座禅 | ― | 精進料理 | ― |
その他 |