松應寺

岡崎城主であった徳川家康公の父・松平広忠公は、天文18年(1549)、家臣によって暗殺されるという非業の死を遂げました。広忠公の遺体は能見原の月光庵で埋葬されました。家康公8歳の時のことでした。この時、家康公は織田の人質として、現在の名古屋で暮らしていました。父の死後、家康公は人質交換によって今川家へ移ります。その道中、月光庵の父のお墓に参りました。墓上に小さな松を1株植えると、その松に松平家の繁栄を祈願しました。

今川義元の死後、人質生活が終わり、岡崎城に入城した家康公は、広忠公の供養のため月光庵の地に新たに寺院を建立しました。かつて植えた松が大いに繁っていることを見ると「松が自らの祈念に應じた」と喜び、この寺院を松應寺と名付けました。以降、江戸時代を通じて幕府に重要視され、家康公をはじめ秀忠公・家光公など歴代将軍も参詣、大いに栄えました。

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(写真)本殿

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(写真)松平広忠公御廟所

住所 愛知県岡崎市松本町42
宗派 浄土宗
開門時間 境内は常時お入り頂けます。
本堂は通常夕方頃まで。
拝観料 なし
駐車場 無料:約10台
*大型バス不可
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御朱印 御朱印帳配布
写経 御祈祷・祈願
おみくじ お守り
書道 茶道
座禅 精進料理
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