富士山本宮浅間大社

平成25年(2013)に世界文化遺産に認定された富士山。美しい姿は世界に知られ、日本のシンボルマークと言っても過言ではないでしょう。その富士山の8合目以上が富士山本宮浅間大社の境内地であるという事実、驚きではないでしょうか?富士山本宮浅間大社はなぜ富士山の頂上付近が神社の境内地なのか?そこにまつわるストーリーには、徳川家康公が大きく関わっています。

始まりは紀元前にまで遡ります。およそ紀元前3世紀頃と言われていますが、第7代孝霊天皇の代に富士山が大噴火し、周辺地域は荒れ果ててしまいました。その後、第11代垂仁天皇は富士山の麓に浅間大神をお祀りしたところ、富士山の噴火が鎮まり、周辺には平穏な日々が戻りました。紀元前27年頃のことです。そのことは広く伝承されるところとなり、浅間信仰と呼ばれる富士山をご神体とする浅間大神への信仰が広まります。それから時は大きく流れ、大同元年(806)に富士山の神水の湧く地に壮大な社殿を造営し、浅間大神を祀ります。それが、現在の富士山本宮浅間大社です。全国に約1300社ある浅間神社の総本宮と称えられることとなります。

慶長5年(1600)、天下分け目の大戦「関ヶ原の戦い」で、徳川家康公率いる東軍と石田光成率いる西軍が激突しました。その戦いに勝利した徳川家康公は、その御礼として本殿・拝殿・楼門をはじめとする約30棟を造営しました。さらに、慶長14年(1609)には富士山の山頂の噴火口内の散銭を浅間大社の社殿修理料にあてることを取り決めます。言い換えれば、家康公は富士山頂の土地は浅間大社の境内地という認識をもっていたともとれます。その後、富士山頂の所有権をめぐる論争が巻き起こりますが、安永8年(1779)、ついに徳川幕府が富士山八合目以上を当社の境内地として正式に認めることとなります。その決定には家康公の意向が大いに関わっているとされています。

(写真)社殿
(写真)社殿

(写真)境内の湧玉池
(写真)境内の湧玉池

(写真)富士山頂の奥宮
(写真)富士山頂の奥宮

住所 静岡県富士宮市宮町1-1
御祭神 木花之佐久夜毘売命
相殿:瓊々杵尊
相殿:大山祇神
開門時間 4~9月:5時~20時
11月~2月:6時~19時
3月・10月:5時半~19時半
拝観料 なし
駐車場 一般:1時間200円、1日1,500円
バス:1時間1,000円、1日2,000円
ホームページ http://fuji-hongu.or.jp/sengen/index.html
御朱印 御朱印帳配布
写経 御祈祷・祈願
おみくじ お守り
書道 茶道
座禅 精進料理
その他