名古屋東照宮

名古屋東照宮は、元和5年(1619)9月17日、尾張徳川家始祖・徳川義直公により創建されました。徳川義直公は、慶長5年(1600)に家康公の9男として生まれ、尾張藩(現在の愛知県西部)を統治しました。現在にもその堂々たる姿を残す名古屋城は家康公が義直公のために築城したと伝えられています。義直公を初代とする尾張徳川家は江戸時代にわたり尾張藩を治め、将軍家に次ぐ徳川御三家の1つです。

当初は名古屋城三の丸に創建され、権現造の本殿を始めとする建物は御三家の名にふさわしい壮麗なもので、昭和初期には国宝に指定されていました。また家康公3回忌以来、毎年4月17日には、神輿をはじめ...

浜松八幡宮

浜松八幡宮は3世紀~4世紀頃、仁徳天皇の時代に創祀されたと伝わり、現在の地には天慶元年(938)に遷座されました。鎌倉幕府将軍の先祖・源義家が訪れたことが伝えられており、武家に信仰が厚かったことがうかがえます。元亀元年(1570)、徳川家康公29歳の時、浜松城に居城を移します。浜松八幡宮が浜松城からほど近く、鬼門の方角に位置していたことから鬼門鎮守の守り神として信仰し、度々参拝していたといいます。

元亀3年(1572)、家康公は三方ヶ原にて武田信玄軍と戦います。人生で唯一の大敗を喫し、命からがら逃げる道中、浜松八幡宮の社前の楠の洞穴に潜み、追撃から逃れることができまし...

可睡斎

可睡斎は応永8年(1401)に創建された曹洞宗の寺院です。現在でも多くの修行者が訪れる東海地方随一の禅修行の道場です。元々は東陽軒という名でありましたが、徳川家康公とのゆかりから名を可睡斎と改めたといいます。

11代目住職の等膳和尚は、幼い家康公を戦乱の中から救い出しかくまいました。時は流れ、浜松城主となった家康公はかつての恩に報いるために、等膳和尚を招き宴席を設けましたが、その席で等膳和尚はコクリコクリと居眠りを始めました。それに気づいた家康公は「和尚我を見ること愛児の如し。故に安心して睡(ねむ)る。われその親密の情を喜ぶ、和尚、睡る可(べ)し」(和尚は私のことを我...

輪王寺

平成11年(1999)に世界遺産に登録された「日光の社寺」、世界からも大きな注目を集め、日本を代表する観光名所のひとつとなっています。日光の社寺とは一般的に二社一寺と称されますが、日光東照宮・日光山輪王寺・日光二荒山神社のことを表しています。

その一つである輪王寺は日光山中に数多く存在する寺院群の総称です。明治の神仏分離令により現在のような形となっていますが、本来は「日光山」という一つの大霊場です。日光山は関東北部、江戸(現在の東京)からみるとほぼ真北に位置しています。日光山とは輪王寺の山号です。聖域を成す山々は日光連山と呼ばれ、男体山(2486m)、女峰山(2464m)...

富士山本宮浅間大社

平成25年(2013)に世界文化遺産に認定された富士山。美しい姿は世界に知られ、日本のシンボルマークと言っても過言ではないでしょう。その富士山の8合目以上が富士山本宮浅間大社の境内地であるという事実、驚きではないでしょうか?富士山本宮浅間大社はなぜ富士山の頂上付近が神社の境内地なのか?そこにまつわるストーリーには、徳川家康公が大きく関わっています。

始まりは紀元前にまで遡ります。およそ紀元前3世紀頃と言われていますが、第7代孝霊天皇の代に富士山が大噴火し、周辺地域は荒れ果ててしまいました。その後、第11代垂仁天皇は富士山の麓に浅間大神をお祀りしたところ、富士山の噴火が...

仙波東照宮

元和2年(1616)4月17日、駿府城にて徳川家康公は75年の波乱に満ちた生涯を閉じました。その遺言に従い、遺体は久能山に埋葬され、1周忌の後に日光へうつし祀られました。久能山から日光にいたる約300キロの道のりとは、一体どのようなものだったのでしょうか?そのことを解き明かす上で、仙波東照宮は重要な意味を持っています。

元和3年(1617)3月15日、徳川家康公移葬のため、天海僧正率いる大行列が久能山を出発しました。その数1000人を超える大行列であったといいます。家康公を納めた神柩は金輿に移され、御一行はきらびやかに装い、さながら神の巡行を連想させるものであったといいま...

喜多院

日本の首都東京は、世界でも屈指の経済都市として広く知られています。その都市が発展し、今に至るまでのストーリーを語る上で、徳川家康公の功績をさけて通ることはできないでしょう。その中でも、家康公のブレーンとして、その業績に大きな影響を与えたのが喜多院27代住職天海大僧正だと言われています。

喜多院は天台宗の寺院で、故事によると、その起源は8世紀(奈良時代)まで遡ると言われています。当時、この地は海水で満ちていましたが、仙芳仙人が立ち寄り、その法力によってその水を取り除きました。その地に尊像を安置したことが始まりとされます。その後、平安時代の天長7年(830)、淳和天皇の勅...

世良田東照宮

世良田東照宮は、群馬県太田市世良田町に鎮座しています。世良田の地が徳川氏発祥の地と云われている由縁から、寛永21年(1644)に創建されました。三代将軍家光公による日光東照宮の大造替時、社殿が移築。その社殿は日光東照宮創建時に二代将軍秀忠公によって建てられた奥社(拝殿・唐門・御廟)のことを指しています。数ある東照宮の中でも世良田に移築されたことは、この地が徳川氏発祥の地として重要視されていたことを物語っています。

徳川家の系図は以下の通りです。

『鎌倉幕府を開いた源頼朝の先祖にあたる源義家の孫の義重が上野国新田荘(現群馬県)を治めるようになり、新田義重と名...